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Creato da CpjJwWHV il 10/06/2023
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7.2 min
31年前から携わっている音訳についてのお話です。 視覚障害者の方にむけて活字を点字に直すことを「点訳」といいますが、「音訳」は活字を音声で録音、またはその場で読む音声訳のことです。 53歳の時に体調を崩し、仕事を辞めました。健康を取り戻した時に、自分が声を出すことができ目で活字を読むことができる間は視覚障害者が求めている本を読むことが必要なことではないかと思うようになりました。
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4.0 min
冨田家ではおでんのように具だくさんのお雑煮を毎年いただきます。ルーツは冨田由紀子の父方の郷里、福島県。鶏肉でだしをとり、大根、里芋、ちくわ、はんぺん、なると、ちくわぶ、さつまあげなどを入れます。味付けはお醤油とお酒とお塩。最後にほうれんそう草や小松菜で彩りを添えます。
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5.2 min
南京には終戦まで日本人女学校があった。 63年ぶりに訪ねてみると学校はそのまま残っていた。 学校を見学した直後に録画したビデオである。 (授業中であり、学校内は撮影できなかった) 母の両親は戦前から南京で商売をしており、母は南京で生まれた。 支那事変の間は長崎に疎開していたが、 日本軍が南京を陥落すると、 中国人の学校を接収して日本人学校にした。 この女学校もそのように作られた。 敗戦ですべてを置いて引き揚げた。 母は最期の卒業生の一人である。 母は疎開していて南京虐殺を知らなかった。 大人は当時何も語らなかった。 虐殺のことは戦後になって聞いた。 当時の抗日運動の恐怖は知っている。 女学校には毎日人力車に隠れて登下校していた。 ずっと南京を訪れる気になれないでいた。 しかし、中国は急速に変化しており、 昔の建物はどんどん取り壊されていると聞いた。 それで63年ぶりに訪ねることにした。 子供のときに覚え...
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4.9 min
昭和18年に生まれました。両親は目が悪いことに気がつき、あちこちの眼科医を訪ねました。だいたいの眼科医は「一生目が見えるようにはならないので、目が見えなくてもいろいろできることはあるので、それなりの教育をしてあげれば生きていくのに困らないようになるでしょう。」と言いました。ところが、ある先生だけは、かわったことを言いました。 (2014年10月1日撮影)
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桐生五郎さんは、鳶職人として、東京タワー建設工事にかかわりました。当時の作業の様子を、テンポよく話してくれたので、とても楽しく聞けました。
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冨田元次が戦争中の食べ物の思い出について語ります。小学校一年生の時に戦禍が激しくなり東京から岡崎に疎開。食事は質素で、お弁当に白米を持っていくと学校の先生に怒られました。また、先生が窓から見ていて、30回噛んでいないと怒られました。代用そばは今でも食べたい懐かしい味です。
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4.7 min
空襲の後は、通っていた女学校の一部も病院として使われました。 休み時間になると女学生たちは自発的に負傷者の看病に行ったものでした。 ビデオに出てくる絵は、当時を思い出して描いたものです。
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4.9 min
戦前戦中は軍人さんになるしかないと思っていました。小学校1年生や2年生の時には海軍士官学校か陸軍士官学校に行くことを考え、戦局が悪くなると、幼年学校(今の中学)に行ってもっと早く軍人になる道を選ばなくてはいけないようなことを考えていました。他の職についていた人も徴兵で強制的に軍人になりました。職業観も職業概念もめちゃくちゃ。職業選択の自由なんてありませんでした。 職業社会学を専門とされてきた梅澤先生の目から幼少期の職業観を振り返っていただきました。
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武道家というのは、戦いによって人をたくさん傷つける。それを懺悔する意味でも、動物を大切にしなければならない。それは日本で昔から言われている「生類あわれみの令」につながっている。イギリスのロンメル将軍も動物を大切にしていた。自分も小さいときから動物は好きだった。一緒に動物と寝起きして初めて動物と気持ちが通じる。
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大好きだった叔父さんが海軍に入り、戦死された時のことをお話ししてくださいました。
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  • di/da Redazione | caricato 2460431 giorni fa
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La vita di un bambino nato e cresciuto nella campagna astigiana degli anni '30, fra stenti e lavoro nei campi, giochi rudimentali e racconti degli anziani nelle serate invernali trascorse nella stalla. Gli anni delle scuole elementari e le riforme scolastiche fasciste, fra cui l'introduzione della sesta classe.
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